主な最近の業務は、ひとりの少女を送迎すること。
もっとも、僕の経歴を見ればわかるとおり、普通の少女ではない。
織戸神那子。
結波高度政令都市に在籍する人間なら誰もが知る、日本国内における最重要能力者だ。
その強大な力が原因で、今にいたるまで様々な危険に晒され続けてきた彼女は、最近になってようやく、ひとりの少女として学校生活を送ることを許された。
僕は彼女に関わる研究者として、また、他人よりも少しだけ近い場所でその姿を見つめ続けてきた支援者として、自らに与えられた業務に誇りを抱いている──の、だが。
「あの、今日の放課後……少しだけ、送迎の時間を遅くしてもらえませんか」
バックミラー越しに覗く彼女の表情は、この頃、少しだけ変化してきている。
「理由をお聞きしてよろしいですか」
「それは、ええと……委員会の集まりが、急に決まってしまいまして……」
途端、歯切れの悪くなる彼女の言葉に、僕は微かどころではない苛立ちを感じていた。
事務的に返してこそいるが、はらわたが煮えくり返りそうだ。
そうとわからないほど微かに頬を赤らめ、瞳を揺らす織戸神那子。
普段、感情を表に出すことのない彼女にしては、豊か過ぎるその反応。
──引き出した原因を、その男を僕は知っている。
「学業の都合では仕方ありません。幸い、今日は実験開始予定も普段より遅い時刻に設定されています。……三十分ほどなら、問題ないでしょう」
「え、ええ。それで充分だと思います」
織戸神那子が、ありがとうございます、と丁寧な会釈を返す。
僕は、バックミラーから視線を逸らした。
* * *
「……で、お前はそれを素直に信じてやった、と」
「そんなわけないでしょう」
本来の予定よりも三十分ほど遅れたセントラルへの到着後、織戸神那子を目的地へと送り届けた僕は、上司の研究室でコーヒーを飲んでいた。
部屋の主のデスクに置かれた上品なカップとは対照的な、たった今廊下で買って来たばかりの紙コップのインスタント。匂いは皆無、苦味だけしか感じられない味気のないそれが、今は妙に美味しく感じられる。
「織戸神那子のスケジュールは、それこそ秒刻みで把握済みです。どの委員会に属しているかはもちろん、会合の日付や時間なども管理サーバーに接続すれば確認可能ですから」
どれだけ突発的な集会であっても、それが学内組織である以上は必ず記録として残される。
たが、今日、彼女が口にしていたような「突然の集合」は、どのデータにも記載されていなかった。
「……ほぅ? そこまで理解していて、それでも神那子の願いとあれば断れなかった、ってか。はは、こりゃ、明日は雪が降るな」
「茶化さないでください」
口の中に残るのは焼けるような熱さと、どこか粉っぽい感触。
言葉だけは平然と返して、僕は苦々しく唇を舐める。
「……あんな風に言われたのは、初めてだったんですよ」
織戸神那子の研究と保護に携わるようになって、数年。
恐らく僕は、目の前にいる上司の次に、彼女と関わる機会の多い人間だった。
だからといって、私的な交わすことはまったくない。保護された当初の彼女は綿密な精神のケアが必要な状態であったし、能力の強大さが実証された今は、その 扱いに更なる繊細さが求められている。上司ならともかく、僕ごとき一介の研究員が口出しできる範囲をとっくに外れてしまっているのだ。
横たわるのは、暗く、どこまでも深い溝。
最重要能力者として、彼女が永遠にまとい続けるであろう孤独を──こともあろうに、ひとりの少年が容易く乗り越えてしまった。
「しかも、なんですか時間停止って。それは反則でしょう」
「ははは。まったくそのとおりで、笑えねぇったらありゃしねぇ」
「笑ってるじゃないですか」
「言葉のアヤだろうが。これだからクソ真面目な奴は嫌なんだ」
ひとつ舌打ちして、上司が煙草に火を付ける。
「でもまあ、理解不能ってわけじゃねぇから、またタチが悪い……なぁ?」
ふっ、と煙を顔に吹き掛けられて、僕は顔をしかめる。
けれど、それはおそらく僕の心情を慮ってくれた上司の、ひどくわかりづらい優しさなのだ。
あの日、あのとき。拳の中にしっかりと握っていたその感情を思い出す。
すべてはあの子を守るために。
──殴った奴の顔なんて、とっくに忘れてしまったけれど。
「……僕も歳を取った、ってことですかね」
「あァ? お前、私に喧嘩売ってんのか」
僕は矢剣圭吾。
セントラル所長の秘書で、最重要能力者の管理担当者で──彼女、織戸神那子を妹のように想い、見守っている男だ。
せめて、そう思うくらいの勝手は許してほしい。
「ああ、そういえば矢剣」
「なんでしょう」
「やっぱお前、白衣着ない方がいい男に見えるぞ」
「……はぁ、そうですか」
──追記。ひとりの女に振り回される、ひとりの男でもある。
作:京弥