編集長から結波市へ取材に行くという話が出たのは、今から1年以上前だっただろうか?
そのときは、高度政令都市へ取材だなんて現実的ではないと思った。特に期待などしていなかったのだが、先日、急に取材の日程が決まった。
1ヶ月前に問題になった、例の集団訴訟、に関係して日米都市運営委員会が、許可を出したのだろう。
取材のため、結波市に向かうのは2週間後だ。そうなると取材記事が掲載されるのは、次号になるはずだ。今回は、次号にむけた関連記事という形になる。
『能力者に対する我々の感情』
時山氏を中心とする業界関係者や弁護士達の集まりに、『超能力者懐疑派』という呼び方をするようになったのは、ここ最近だと認識している。
3年前、時山氏は各メディアで能力者や高度政令都市に必要以上の費用がかかっていると訴える始めた。当時は、彼の意見を個人的な主張として取り上げるにす ぎなかったが、ある時期から時山氏の主張が、都市の運営だけではなく能力者までもを非難の対象とするようになり、それに伴うように彼の主張を指示する人々 が増えていった。そして支持者達は、時山氏の主張を擁護するために巨額の資金を用いて弁護団まで作ってしまう。
彼等に一種の狂気じみたものを感じてしまうの私だけだろうか?
しかし、彼等、『超能力者懐疑派』を非難するメディアは驚くほど少ない。むしろ、メディアによっては彼等を擁護するような扱いをするのが実状だ。
一方、掲示板の書き込みや各SNSでは、能力者に対する世論は半々といった感じを受ける。
最終的に、これをどう判断するかは読者に任せるが、一つ私の意見を述べさせてもらう。
時山氏を中心とした『超能力者懐疑派』の動きが何を意味しているのか、そしてネット上でもその半数が、懐疑的な意見を持っているのは何故なのか?
私はスターティングコールを理由に挙げたい。
だがスターティングコールにより、子供達が超能力者になったという結果ではない。スターティングコール自体が理由なのだ。
スターティングコールから7年。
我々は、あの日のことを鮮明に覚えている。彼の声が、脳裏に焼き付いている。
スターティングコールのまさにその時、私は怯えていた。恐怖していたのだ。
彼の声が、世界を呪い、人類に怒りをぶつけているように感じたためだ。
そして、スターティングコールの直後、少なからずPTSDを発症した人々がいたのは事実だ。
我々、大人達は、あの日、恐怖したのだ。
そしてスターティングコールによって、超能力者となった子供達を同じように恐怖している。
これほどまでに懐疑的な意見を持つ者が多く、また『能力者懐疑派』の主張に賛同する者達が多い理由、それは潜在的な恐怖なのだ。
怖いから虐げる。実に分かりやすいじゃないか。
怖いから能力者(ヴァリエンティア)を批判する。
自らの子供を批判するという、常識的には考えられない行動を取ってしまう。これは人間の本能だ。仕方ないのだ、と答えてもいいかもしれない。
だが……もうやめにしないか? 彼らだってスターティングコールの被害者だ。
そして何より、子供は大人が守ってやるものだろう?
──佐竹記者のテキストエディタより
作:昌和ロビンソン
作:昌和ロビンソン