十代の頃から色々な都市伝説を読み漁り、大人になってもそれを続けた。そのおかげで何冊かの本を出版し、この雑誌のように度々、記事やコラムを書かせてもらえるようになったのだから、この努力と情熱は無駄ではなかったのだろう。
そんな私だが、ある時期、このライフワークも潮時かもしれないと思ったことがある。
スターティングコールによって世界中の赤子が超能力者になってからしばらくした頃。
我々は、あの混乱から立ち直り、少しずつ子供達が超能力者であることを受け入れ始めた。
すると多くの人達は、都市伝説のような物に興味がなくなった──いや、厳密には違うのだろうが、その時の私にはそう感じられた。
当然だろう。
クローゼットの中やベッドの下に潜む殺人鬼、遠くからこちらの様子を伺う人ならざる者、人気のない道にたたずむ女や男、そんな連中より食器や筆記用具を浮かせてみせる息子やタンスを持ち上げる妹、宙に浮く従兄弟の方が印象的だからだ。
なによりヴァリエンティアは説明のしようもないほど現実的だった。
近所の公園で不用意に火を出した幼児を母親が叱っている、のだからベッドの下にうずくまっている殺人鬼など、ヴァリエンティアの存在感に太刀打ちできない。
そして興味を引けなくなった都市伝説は、死ぬのだ。
これまでも、電線に塗られた処女の生き血、深夜に走る黄泉の列車など、たくさんの都市伝説が記録だけの存在、つまりは死んでいった。
だが、ヴァリエンティアが我々に与えた衝撃はあまりにも強すぎた。
すべての都市伝説は葬り去られてしまうと本気で思っていた。
事実、この頃は都市伝説を扱うメディアはほとんど目にしなくなった。
代わりにヴァリエンティアに関するニュースや番組ばかりで、私の仕事も都市伝説以外のジャンルだったと記憶している。
それからしばらくして、高度政令都市で教師をしている人物と話す機会があった。
そこで私は心底驚いてしまう。
教師の話では9歳〜7歳のヴァリエンティア達の間で、都市伝説じみた様々な噂話が囁かれているらしいのだ。
宛名の無いメールやいつの間にかインストールされているアプリ、なぜかひとり多いグループ閲覧数、カメラ機能を使った様々なおまじないや学生証ネットワークの中に潜んでいる人知を越えた存在など、だ。
それらは都市伝説というには少し稚拙で荒削りだったが、どこか懐かしさを感じさせる内容だった。
我々にとって、超能力はこれ以上無いほど興味をひきつける物だが、それを持つヴァリエンティア達は、大人が興味を失った都市伝説にひきつけられているのだ。
驚いた私を見て、その教師も「僕も始めは不思議に思いました。透視能力を使える生徒がいるのに壁の染みを怖がったり、予知能力を持っている生徒がいるのに熱心に占いをしたり、念動力を使える生徒がいるのにオバケが出た、服をひっぱられた、って騒いでいるんです。まるで僕達が子供の頃と同じじゃないですか?」と語った。
だが、冷静に考えてみれば不思議でもなんでもない。
いくら超能力が使えるからといって、あの子達は我々と同じ人間なのだ。
暗闇や夜は怖いし不思議な物にはひかれる、そして友達同士でわけのわからない話に興じるのは楽しいのだ。
ヴァリエンティアが幽霊話や怪談話をして、占いやおまじないに興じるのはいたって自然だ。
「そんなあの子達を見て、なんだか安心したんですよ。あー、僕達と同じなんだな、ってね」
彼が笑いながらそう口にした。
見守るようなその表情が、私にはすごく印象的だった。
今後も都市伝説が無くなることはないだろう。むしろ将来有望だ。
これまであった都市伝説は、モバイル端末の『学生証』をツールとした形に発展しているようだし、テレポーターという彼らによって生み出された新たな都市伝説などもある。
他にも独走性に優れた幽霊話や怪談話が次々に生まれているらしい。
私の都市伝説収集は今後も続きそうだ──そう確信した日だった。
くじら出版『新代説話禄 創刊号』より抜粋
作:昌和ロビンソン