私の名前はエレヴィン・アダムス。
ヴァリエンティアと超能力に関する研究を続けている者だ。
私が超能力研究を始めたのは、スターティングコールの直後からなので、この分野の研究者としては古株になるのだろう。
だからなのか、色々な人が私にヴァリエンティアや超能力について様々な質問とその回答を求めてくる。
まるで私が何でも知っているかのように。
しかし多くの場合、私は彼らに明確な答えを提示することができていない。私自身、ヴァリエンティアや超能力についてほとんど分かっていないからだ。
「あの、エレヴィン・アダムスが分からないだって? またまたご冗談を!」
いやいや、本当に分かっていないのだ。
例えば、第1章で取り上げている『人体で超能力を司っている器官はどこか?』など、まったく検討もつかない。
研究をはじめた当初、さまざまな精密機器を使って一般の人間とヴァリエンティアの違いを調査したが、人体の構造にまったく差異がないことが判明したのだ。
『脳の中に超能力を制御している場所がある』という説を唱える者も多いが、超能力を使用しているヴァリエンティアの脳の働きを、超音波検査やMRI、CT、PET脳波検査、他にも様々な機器で測定してみたが、ここが超能力を制御している器官だと断言できるような結果はえられなかった。
こうして、超能力を使うための器官や超能力脳細胞があるのかわからない、と科学的に分かった。
もしかしたら、別の方法で調査すれば、そういったモノの存在を証明できるのかもしれないが、現時点では『わからない』だ。
とはいえ、何から何までわからないわけではない。
これまで多くの機関と研究者達が日夜、研究を続けてきたおかげで(及ばずながら、私も研究をしてきた)、分かってきたこともある。
── 超能力とは曖昧なものである ──
これは、十年以上、私が研究を続けてたどり着いた答えのひとつだ。
例えば、『ヴァリエンティアAの超能力がヴァリエンティアBの超能力より強力だとすると、AはBより何かしら優れていなければならない』と考えるのが普通だろう。
だが、身体的特徴や性格的な特徴、生い立ち、超能力に対する感情や記憶など、AとBの間に生じる様々な差異から超能力の強弱に関わる要素を見い出したとしても、新たにより強力なCというヴァリエンティアと比較した場合、その要素がまったくあてにならないことがわかってしまう。
またヴァリエンティアの超能力を分類化しようとする研究者もかなりの数いるようだが、あまり上手くいっていない。
身体強化系能力や遠隔操作能力、ESP能力といった大きな分類名の下にサイコキネシスやパロキネシス、テレパシー、透視能力、予知能力のように的を絞った分類名があるので立派に大系化されているように感じるが、明確に分類化しようとすると矛盾が生まれてしまうのだ。
その矛盾について、一時期、論争にまでなったのが飛行能力と高速移動能力だ。
この超能力はサイコキネシスなのだろうか?
それとも別の能力なのだろうか?
多くの飛行能力を持つヴァリエンティアはサイコキネシスを使えないという統計結果が出ているが、それは自分自身にしかサイコキネシスを発揮できないヴァリエンティアということになるのか?
もし、そうであるならば、サイコキネシスを使えるヴァリエンティアが自分自身をサイコキネシスで浮遊(飛行)させた場合、それは飛行能力になるのか?
そして飛行能力がサイコキネシスであった場合、よく似た高速移動能力もサイコキネシスと分類するべきなのか?
もしも自分自身にしか使えないサイコキネシスとするなら、飛行能力と空を飛べない高速移動能力の差は何なのか?
その差を超能力の強弱でしかないと考えた場合に発生する『飛行能力よりも何倍も高速に行動できる高レベルの高速移動能力者』という矛盾をどう解消するのか?
飛行能力と高速移動能力、そしてサイコキネシスに関する論争となった部分をざっと上げてみたが、こうして見ると疑問点と矛盾点が目が回りそうなほど多岐にわたる。
そして、このような矛盾は他の超能力でも数多く起きているのだ。
超能力の分類化、大系化が完成するのはまだまだ先になるか、不可能だろう。
このような超能力研究の話はそれこそ星の数ほどあるため、多くの研究者達を悩ませているようだが、頭を切り替えて──超能力とは曖昧なものである──と考えればしっくりくる。
少なくとも私にはしっくりくるのだ。
この著書では、そんな『超能力の曖昧さ』を中心に私を驚かせた多数の事例をあげながら、桐島麗子女史やキャロル・エネモア博士など7人の著名な研究者の論文と彼らの主張も紹介していく。
──エレヴィン・アダムス著『100万回目の「わからない」』より抜粋
作:昌和ロビンソン